原風景

先日、久しぶりに金華橋通りを運転していたら、何だか不思議な感じがしました。ちょうど明徳小学校を過ぎて金華橋に向かっている時でした。「う〜ん?なんだか変だなぁ?」何がどう違っているのしばらくわかりませんでした。でも、以前とは何だか変わっているようでした。「なんだろう〜?電柱でもなくなったのかなぁ?でもちょっと違うなぁ〜??」まわりを見渡してみますが、何が変なのかすぐにはわかりませんでした。そして、文化会館にさしかかる頃に、やっと気づきました。「あ〜ぁ!大学病院がなくなっている!!」そうなんです。大学病院が解体されていて、以前そこにあった風景が変わっていました。グレー色の大きな固まりがなくなって、空が広くなり、金華山を見通せるようになっていました。「これって、昔の風景に帰ったんじゃないのかな?」ちょうど夕暮れ時だったので、夕焼けに染まりかけていた町並みは、昭和初期くらいの印象を受けました。まだ岐阜に来ていなかったのに、なぜそんな印象を抱いたのかわかりませんが、その景色を見て、ほっとしたように思えたのは確かです。
日本の良き時代の風景が、そこに垣間見れたように思います。

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原風景」への2件のフィードバック

  1. 若い人(かくゆうワタシも十分若い)でも古い日本家屋を訪れると懐かしいとか。。。。
    表現するそうです。
    血なのか。。。。
    日本人にとっての原風景なのか。。。
    現代の若者の日常にも懐かしむような要素があるのか。。。
     
    そうそう、風景に関して
    こちらのローカルでは、ちょっとショッキングなことがありました。
    西区を南北に通る平六通りという道。
    庄内川の堤防にカーブしながら登っていくのですが。。。。。
    突き当たりに、それはそれは大きなマンションができてしまいました。
    何キロも手前から行き止まりのように立ちはだかっています。
    以前は空が見えていて、堤防に登っていく爽快感がありました。
    ボクはこの道が好きでした。
    建築が風景を壊してはいけないと思うのです。
    大きなものであればあるほど。
    社会の閉塞感を強ーく感じました。

  2. げんたろうさん、おひさしぶりです。
    懐かしさというのは年齢だけではないのかもしれませんね。遺伝子なのかわかりませんが記憶として残っているように思います。知らない町でふっと出くわした路地裏にみょうに引かれてしまう自分がいます。懐かしさではないけれど、でもどうしても入って行きたくなる自分がいます。そんなことも無意識の中に自分を見いだすのかもしれませんね。
    建築が街の風景を変えて行く事は、ある意味当然なんでしょうけど、その事の意味をあまり自覚しないで造られている建築が多いのも事実だと思います。
    これだけ無造作に造って来た建築行為も、もうそろそろ違う視点で造って行くべき時代なんだと思います。
    せめて、「あぁ〜気持ちいい空間だ」とか「ここが好きな風景なんだ」っていわれる建築を創って行きたいもんですね。
    お互いにがんばりましょうね!

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